価値基準を緩ませたい。
いろいろな本を読み、自らの価値基準を緩ませたいと思っています。
「~なのに」「~であるべき」そういった考えを捨てていければ、きっとストレスも減り、肩の力を抜いて生きられるのではないかと考えています。
3月末から気持ちを整理するために、日記的なものをつけています。今日は、在宅勤務としましたので、合間に読み返してみました。
3月末から4月上旬が落ち込みのマックスで、5月はいくぶん持ち直したものの6月に入りまた不調ぎみとなっています。日記の文字量の多さで、辛さや落ち込み具合がわかります。
自業自得の面があるとはいえ、聞くも涙、語るも涙の人生劇場。
悪夢が始まってから2か月と1週間。気持ちや生活が一変しました。価値基準を少しでも緩めながら生きていきたいと思っています。
豆腐のメンタルは相変わらずで、ちょっとしたことで傷つきやすく、心がヒリヒリする状態が続いています。
在宅勤務だと、外部からの刺激が抑えられ、リラックスできます。コロナに救われている面もあると痛感しています。
サラリーマンとして早く「成仏」して、気持ちを軽くしたいのですが、嫌な奴や順調に出世している昔の仲間の顔がなぜか脳裏をよぎり、その都度、寂しくなります。
「もう パワハラチックなことなんで絶対にしなのに・・・」
まだまだ長い戦いとなりそうです。
気圧の影響か
昨日は早朝から、このあたりも気圧が急に下がりました。その影響か、鈍い頭痛と憂鬱に襲われました。
(気圧と気分の関係が気になり、スマホにアプリを入れています。)
出勤してから、「気圧のせいか、頭痛が・・・」などと話していると上司が「無理しないで帰っていいよ。」とのこと。
実は、この上司はとても優秀な方で出世が早かったのですが、うつ病を患い、地域機関で静養中です。おそらく、本人も辛かったのではないでしょうか。
「では、お言葉に甘えて・・・」と速攻で帰宅し、診断士の業務(某企業の経営革新計画の作成)に努めました。頭がはっきりしないので、思うように進みませんが、最低限の仕事はできたと思います。
夕方からはビールやサワーを飲みながらYouTubeを見たりして、人生で最も快適な金曜日の夕方を過ごしました。
そして、土曜日の今日は、ほぼ2か月ぶりに近くのサイクリングロードをジョギングしました。いや、ジョギングがやっとできました。
落ち込んでいる間にすっかり走れなくなっており、約5キロを平均1キロ6分十数秒でヨタヨタ走りました。とても苦しく、汗がひどかったです。
(まあ、蛇がいなくてよかったです。)
継続して走れるといいのですが・・・
焦らず、腐らず、奢らず
底値鍛錬
まあ いいか
コーチングよりカウンセリング
モヤモヤ、クヨクヨ、あ~あ・・・
落ち込む程度は少しずつ軽くなっているような気がしますが、なかなか吹っ切れない日々が続いています。
コーチングを受け始めましたが、目標がしっくりせず、間隔をあけていました。サラリーマンとしてうまく成仏したいとか、マイナス思考を改めたいとか、人と比較しなくなりたいなどバクっとした目標しか思い浮かびません。
コーチングでは、目標はクライアントが決めるという大原則があり、コーチに聞いても「何でもいいんです。」とか言うだけです。
高い費用を回収できるか不安が募る中、ハタと気がつきました。
今の自分に必要なのは、コーチングよりカウンセリングだったのでは・・・
職場の福利厚生で、カウンセリングを何回か受けられることにやっと気づき、昨日、人生初のカウンセリングを受けてきました。
いろいろと話を聞いてくれて共感していただきました。そして、これからどのようにしていくか、一緒に考えてくれるスタンスだったので、今の私にはこちらの方がいいようです。
やはり、何か趣味(楽しめるもの)をつくった方がいいようです。
また、脳の休め方(反芻思考の止め方)等々、とても勉強になりました。人の話を聞くことがいいようなので、落語でも聞いてみようかと思っています。
カウンセリングや時間の経過で、気持ちが改善すれば(上向けば)、コーチングでの明確な(積極的な)目標が定まるのではないかと思っています。
いずれにしても時間が必要です。
やりたいことが見つからない
今日は、天気の関係か、朝から気持ちが沈み、体も疲れていたので有給休暇をとりました。
急ぎの仕事もないので、刑に服している間は、休み休みそして在宅勤務も取り入れながら、焦らずにボチボチやっていきたいと思っています。
暇に任せて「50歳からのむなしさの心理学」(榎本博明氏著)を読んでいます。むさしさの正体や心の危機が軌道修正のチャンスであったりすることがわかりました。
また、やりたいことを見つたら いきなり転職するのではなく、今の仕事をしたまま複線型で何かを始めるのがよいということも共感できました。
しかし、そうは言っても やりたいことが見つかりません。そういえば、高校生の時に史学(考古学)を専攻したいと思ったものの、担任の先生から「歴史じゃ食えない」と言われ、法学部か経済学部がよいとの指導に従いました。
どこか大学や大学院の社会人コースで史学(考古学)でも学べないかと思い、ネットで検索しますが、こんな田舎にあるはずもなく。もう一度、カルチャーセンターや市民講座を調べてみても、当然のごとく・・・・
確かに、こんな感じでは、60歳で退職してから、やりたいことを探すのは大変だと痛感しました。時間のあるうちから焦らずに探していかなければなりません。
ネットサーフィンをしているうちに、「底値鍛錬百日」という言葉を知り、勇気づけられました。
まあ、100日ではなく、約350日あるいは700日かもしれませんが・・
仕事以外に生きがいを見出すこともすぐにはできそうもないので、今が人生の底値にあると思って、刑期を終えるまで(無期懲役でないと信じて)、仕事と誠実に向き合い、人間関係のトラブルを起こさずにじっと耐える必要があると思いました。
いろいろな本を読み、混乱気味になってきた感じもします。
実際 どうしたものか・・・
「成仏」は簡単ではない
大江英樹氏や大前研一氏は、先の見えたサラリーマンはさっさと「成仏」したほうがよいと言っています。
「成仏」とは、出世への未練を断ち切って、第2の人生に向けて準備を進めるなど新しい人生に向かうということのようですが、実際にやろうと思っても、なかなか踏ん切りがつきません。
60歳まで今年を入れて約10年あり、仮にうまく「成仏」できたとして、その後の仕事はどのようなスタンスでどのように取り組めばいいのか。
「やる気もないし、何でもいいや」というスタンスでは自分が腐っていくようで怖い気がします。
一方で、いつまでもウジウジして、「なんで俺がこんな所でこんな仕事を・・・」などと引きずっていると、気がついたら「うつ病」だったなんてことにならないかと思い、一日も早く「成仏」してしまった方が気が楽になるのだろうと思う自分もいます。
自問自答を繰り返していますが、今回、左遷を食らいましたが、本当にもう終わりなのか確かめるすべがなく、未練たらたらで、思い切って自分を「成仏」させられないという状態(心境)が正直なところです。
大前研一氏によると、60歳からやりたいことを見つけて、それを始めるのでは遅く、やりたいことがあればすぐに始めて、60歳以降も継続するのがいいようです。
そこで、カルチャースクールにでも行ってみようかと思いましたが、こちらは結構な田舎のため、興味を引く講座が見つかりません。英会話やウクレレ、習字、デッサンとかではなく、「終わった人」のように文学的なものがいいのですが・・・
こんなことを考えていたためか、今日は朝から結構な落ち込みでため息と反芻思考ばかり。
一体いつになったら、あるいは、どんなきっかけがあれば、すっかり吹っ切れるのか。
結局のところ時間が解決してくれるのをじっと待つのでしょうか・・・
「嫌われる勇気」を読んで
遅ればせながら「嫌われる勇気」を読みました。
なるほど、感じるところ、考えるところが多く、感銘を受けました。
少なくとも もう1回は読みたいと思ってます。
今、心に響いているのは、「目的論」と「課題の分離」、「いま、ここ」です。
私が、部下に厳しい態度をとったのは、部下の自分のことしか考えない行動やふてぶてしい態度等が原因で感情が抑えられなかったのではなく、部下を従わせたい、部下に立場をわきまえさせたい、上下関係をはっきりさせたいという「目的」から「怒り」という感情を持ち出したのだと痛感しました。
もっとハッキリ言うと、その部下が嫌いで懲らしめたかったのだと思います。
「課題の分離」については、かなり難しく、うまくできないかもしれませんが、自分と部下の課題を分離しようとする意識を持てば、今までよりずっと適切な距離を保てるのだろうと思います。
「いま、ここ」については、とかく過去や未来ばかり考えがちだった私に特に響きました。
人生は刹那の連続である。過去や未来はなく、今この瞬間を丁寧に生きる。過去に受けた注意やその影響(将来の昇任)について考えず、毎日の仕事・生活に集中したほうがよいことがわかりました。
(実際は、これがなかなか難しいのですが・・・)
他人との競争をやめるべきなど、承認欲求を捨てた方がいいというところも、感慨深いものがありましたが、よく消化しきれていません。
1回目は読み急いだ感じがあるので、2回目はもう少しゆっくりと味わいたいと思います。
さあ、今日も9時からオンライン坐禅会に参加してストレス解消に努めます。
「終わった人」と「成仏」
内館牧子氏の「終わった人」を読みました。話の展開に引き込まれ、一気に読んでしまいました。ほろ苦さとともに昔の仲間の友情の暖かさを感じました。
そして、続けてもう一度読みました。
男(夫)にとって、とかく妻には自分の辛い時にそばにいてくれて気持ちを共有してほしいなんて都合よく思いがちかもしれません。
しかし、この本では、夫の愚痴を聞くのが嫌で必要以上に早く出勤したり、自分の夢を追い求めて美容師として独立開業する様子が書かれていて、ちょっと感じるところがありました。そして、夫婦が「卒婚」する最終的な理由が「お金」の問題であったことも、「そうか。まあ そうなんだろうな」と思わされました。
夫婦と言っても、結婚生活を続けているうち(あるいは仕事に没頭しているうち、子育てに励んているうちに)にいつの間にか、二人の間に距離ができ、価値観の差も大きくなり、妻も自分の夢に向かって行動するようになるのでしょうか。
そしてこの小説でも出てきましたが、サラリーマンとして「成仏」することの大切さも痛感しています。
「成仏」とは、大江英樹氏も著書やネットの記事で書かれていますが、50代で左遷されるなど、すでに「勝負あった」人は、いつまでも会社での地位や立場に拘泥することなく、気持ちを切り替えて次の人生に向かうことです。
会社での出世が人生のすべてでなく、それぞれの道(生活)で幸せを追求した方がいいということだとされています。
このところ、いわゆる「定年本」的なものを読んでいますが、大江氏の考えが一番心に刺さりました。自分も早く「成仏」した方がよさそうです。
閑職に飛ばされた時は、60歳からの生活に向けて嬉々として準備をしていけばいいとのことですが、確かに給料をもらいながら、時間をかけて自分のやりたいこと、できることを探していけるのは、ある意味ラッキーかもしれません。
自分なりの「成仏」の仕方を考え、試していきたいと思っています。